ガラスの歴史

 隕石や黒曜石を除けば、ガラスとは天然に存在する素材ではなく、
人間が創り出した人工的な素材です。そのガラスの歴史について、
参考までにご紹介します。
< ガラスの起源 >
 ガラス製作の起源の話しをするときに必ず引き合いに出されるのが、プリニウスによる「博物誌」の中の話しです。 この話しはだいたい次のような話しです。
『東地中海海域にあるイスラエルの海岸で
フェニキアの商人が炊事をするのに炉
 を築こうとして、船荷の炭酸ソーダの塊を用いたところ、炉の熱によってソーダ
 の塊と海岸の白砂が混ざり合って溶解し、ガラスが出来た』という話しです。
炉の温度は別としまして、海岸の白砂については何人もの権威によって分析されたようです。 この話しはまんざら嘘ではなく、紀元前1000年紀のフェニキアでは、ガラス製作はとっくに確立されていました。
 ガラスはそれ自体がいきなり出現したわけではなく、その前段階の釉薬やフリットのような素材として出現しました。 釉薬の存在は、古くは紀元前5000年頃に遡れるものもあるらしいです。

 紀元前3000年から前2000年紀前半にエジプトやエーゲ海域などで、球や塊、ガラス棒のようなアルカリ石灰ガラスによる小さな装飾品が製作されるようになりました。 紀元前2000年紀後半になるとガラス容器が西アジアとエジプトで出現するようになりました。 この段階で初めてガラス工芸の本格的な幕開けとなります。


< 古代のガラス >
 紀元前1500年頃になると北メソポタミアで最古のガラス器製作技法の一つであるコア・ガラス容器が作られるようになりました。 また、メソポタミアやエジプト、シリアなどで、粘土で型をつくり、溶かしたガラスを押しつけて成型する「型押し法」などの製造技術が確立しました。 これよってガラスの普及は進みました。
しかし、一個一個、型をつくって成型するため、大量生産はできませんでした。 生活用品というよりは、とても高価な装飾品だったのです。


< ローマ帝国のガラス >
  ローマ・ガラスが生まれる。 ローマ・ガラスは、ローマ帝国時代(紀元前27年から紀元後395年)に、ローマ帝国内で製造・流通したガラス製品の総称です。 また、この時代にガラス工芸史上もっとも画期的な技術革命である「 吹きガラス技法」が発明されました。 吹き技法はシリアのパレスティナ地方が発祥の地と考えられています。
 「吹きガラス技法」は、鉄パイプの先に溶かしたガラスを水飴のように巻き取り、息を吹き込んで風船のようにふくらませて成型する方法で、現在もなお世界中で受け継がれている基本的なガラス製造技法です。 これによって、球形や円筒状までさまざまなかたちや大きさのものがつくれるようになりました。 また、この頃にガラスの窓も誕生しました。
 吹きガラスの普及に伴い、1世紀末には不透明なガラスから
透明なものが好まれるようになりました。 ガラスの持つ透過性が、美しさにおいても実用性においても定着したのです。


< 中世のガラス >
 西暦395年にローマ帝国が東西に分裂し、476年に西ローマ帝国が滅亡したことにより、ガラス製造はビザンチン帝国域を除いて衰えます。 北ヨーロッパではおよそ1000年にもおよび、汎ゲルマン的な角状のフランク・グラスやアングロ・サクソン・グラスが流布していたに過ぎません。 キリスト教の信仰の時代に入り、ローマ時代と異なりガラスは贅沢品であり、キリスト教美術に取り込まれなかったことは、ガラス発展にとって致命的でした。

 12世紀に
ステンドグラス の技術が確立されます。 ローマ帝国が滅亡すると、ガラス職人たちは周辺諸国に移住し、その土地に根をおろして独特のガラス器を誕生させました。 特にビザンチンで生まれたステンドグラスは、東方の回教国でも一大ブームを巻き起こし、西洋のガラス工芸の基礎になったといわれています。
 一方、イタリアのベニス共和国では
ヴェネツィア・グラスが生まれ、一世を風靡しました。  ヴェネツィアに刺激を受けて、北ヨーロッパのガラスにも16世紀にようやくルネッサンスが訪れることになります。


< 近世のガラス >
 美術史の時代区分でルネッサンス、バロック、ロココの時代に相当する15世紀から18世紀にかけて、近世ヨーロッパのガラス工芸の歴史において主役を演じたのは、イタリアのヴェネツィア です。 ルネッサンス期には、ヴェネツィアという都市ではなく、ムラーノ島という小さな島を唯一の舞台としてガラス工芸の発展を遂げました。
 ヴェネツィア・ガラス は、15−17世紀においてヨーロッパのガラス市場を独占するほどの繁栄を示し、ヨーロッパ中のガラス工芸の趣味に圧倒的な影響を及ぼすことになりました。 ヴェネツィア・ガラスが高級工芸品として、その名声を広めたのは、15世紀後半からのことです。 この頃に エナメル絵付け技法が使われ、 クリスタッロ の発明がありました。 「クリスタッロ」は、透明度の一段と高い新しい無色ガラスです。 当時の人たちから「水晶」のように透明な新しいガラスとして驚異の目で迎えられ、その製法は秘法とされたのです。
 ヴェネツィア・ガラスの黄金期である15世紀末から16世紀には、古代ローマで発展した「吹きガラス」技法を駆使し、ガラス自体の透明性を追求したクリスタッロ、精緻を極めるレース・ガラス、ミッレフィオーリ等の繊細、優美なガラス器がヨーロッパ各国の宮廷や裕福な市民層を席巻したのです。

 建築にガラスが多用されるようになると、ガラス工芸と板ガラスははっきりと分化し、それぞれ独自の道を歩み出すようになります。 より大きく平らな板ガラスの製造へ向け、さまざまな方法が試みられたのが、近世の歴史だといえます。


< アール・ヌーヴォのガラス工芸 >
 1890年から1910年にかけてが、フランスで「新しい芸術」という意味のアール・ヌーヴォの時代です。 この時代にヨーロッパの国々で流行した新しい装飾美術をアール・ヌーヴォと呼びました。 自然を神の摂理の反映とみなす価値観から人工的な造形に代えて、動植物の形態を参考にした曲線を主体とする斬新な造形を生み出しました。
 アール・ヌーヴォのガラス工芸の代表的な人物としては、フランス・ナンシー派の巨匠
エミール・ガレ、ナンシーのドーム兄弟、アメリカのティファニーなどが上げられます。 ガレやドームが昆虫や植物を写実的に表現したのに対して、ティファニーは、抽象化した曲線を主体として造形を造りだしました。


< アール・デコのガラス工芸 >
 20世紀に入り、機械文明の発達が人々の生活を激変させました。 美術の世界でも機械文明を賛美するフォービズムキュビズム、未来派など前衛的な新しいスタイルが生まれてきました。 今日では、当時のこのような美術の様式をアール・デコとよんでいます。 アール・デコの時代は、美術工芸品の生産量が著しく増大し、ごく限られた階層にしか味わえなかった豊かさが、新しい階層にも広がりを見せたのです。
また、アール・ヌーヴォの時代のガラス工芸は、人々の目が自然に限りなく近づきました。 しかし、アール・デコの時代のガラス工芸は、再び素材としてのガラスの性質に目覚めていきました。 ガラスの素材としての重量感、光を通す透明性、溶け合うガラスのしなやかさなどを人々が求め楽しむようになりました。
 アール・デコのガラス工芸の代表的な人物としては、フランスの
ルネ・ラリックスモーリス・マリノが上げられます。 ラリックスは創業当初から透明ガラスに製作を絞り、「型吹き成形」「プレス成形」などの鋳型成形を採用し、つや消し加工「サチネ」や表面着色法「パチネ」を施して多くの美術品を生みだしました。


< 現代のガラス >
 1960年頃のアメリカのスタジオ・グラス運動により大きなガラス工場に依存することなく、個人が小型の溶解炉を設置して創作活動をするようになり、個性的な作品が数多く造られるようになりました。 このスタジオ・グラス運動は、世界各地にも多大な影響を与えました。
 19世紀は、巨匠エミール・ガレのような天才の個性が輝いた時代でしたが、20世紀のガラス工芸は、多くの異なる個性と多様化の時代だといえます。